< 大 光 寺 坐 禅 会 >

毎月第二・第四土曜日19:00〜 無料。
(宮崎県佐土原町上田島767)

「東に白隠あり、西に古月あり」といわれている古月禅師と一緒に坐る。



自国宝殿(禅堂)




19:00前にはもう開いている。

玄関で合掌・低頭し、靴を脱ぎ、靴下を脱いで素足で中に入る。
「自国宝殿の開山岳翁長甫像」に合掌・低頭。
自分の坐る位置に着いたらその場所に向かって合掌・低頭。
右回りをして向かいに坐っている人に合掌・低頭。
坐蒲に坐る。結跏趺坐でも半跏趺坐でもよい。
背筋を伸ばし、一メートル先を見る。
そして、坐る。







聞えるのは、風の音、虫の声、鳥の声、雨の音、木の音、葉の音







無になんてなれない。



悟りなんてとんでもない。







ただ、自分の中に必ずある清浄を探し、見る(見性)。



時間が静かにゆっくり流れていく。



「白隠禅師坐禅和讃」を皆で唱える。

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
誓えば水の中にいて 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき
夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅密 念仏懺悔修行等
其品多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積みし無量の罪ほろぶ
悪趣いずくに有ぬべき 浄土即ち遠からず
辱なくも此の法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得ること限りなし
いわんや自ら回向して 直に自性を證すれば
自性即ち無性にて すでに戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん
此の時何をか求むべき 寂滅現前する故に
当処即ち蓮華国 此の身即ち仏なり







経行(堂内をゆるやかに静かに五周ほど歩行する)



警策(文殊菩薩の手の代わりとされている棒)
合掌・低頭して左右の肩を二打される。合掌・低頭する。







四弘誓願を皆で三回唱える。

衆生無辺誓願度
煩悩無尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成



終了。
「お疲れさまでした」合掌・低頭。
皆でお茶を飲む。



何故坐るのか?



自分の中にある清浄を見るため。


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