<わ ら べ う た>



<花>
春の東雲のふるえる薄明に
小鳥が木の間で
わけのありそうな調子でささやいている時
諸君は彼らがそのつれあいに花のことを
語っているのだと感じたことはありませんか。
人間についていえば
花を観賞することはどうも
恋愛の詩と時を同じくして起っているようである。
無意識のゆえに麗しく
沈黙のために芳しい花の姿でなくて
どこに乙女の心の解ける姿を想像することができよう。
原始時代の人はその恋人に始めて花輪をささげると
それによって獣性を脱した。
彼はこうして
粗野な自然の必要を超越して人間らしくなった。
彼が不必要な物の微妙な用途を認めた時
彼は芸術の国に入ったのである。
喜びも悲しみにも
花はわれらの不断の友である。
花と共に飲み、共に食らい、共に歌い、共に踊り、共に戯れる。
花を飾って結婚の式をあげ
花をもって命名の式を行なう。
花がなくては死んでも行けぬ。
百合の花をもって礼拝し、蓮の花をもって瞑想に入り
薔薇や菊花ををつけ、戦列を作って突撃した。
さらに花言葉で話そうとまで企てた。
花なくしてどうして生きて行かれよう。
花を奪われた世界を考えてみても恐ろしい。
病める人の枕べに非常な慰安をもたらし
疲れた人々の闇の世界に喜悦の光をもたらすものではないか。
その澄みきった淡い色は
ちょうど美しい子供をしみじみながめていると
失われた希望が思い起こされるように
失われようとしている宇宙に対する信念を回復してくれる。
(岡倉天心「茶の本」第六章 花 より)


<子に飽くと申す人には花もなし>
(松尾芭蕉)


<歌には、まづ心をよく澄ますは
一の習ひにて侍るなり>
(藤原定家)


<花は野にある様>
(千利休)


<遊戯自在>
母「お前どこ行ってたの?(Where did you go?)」
子「外にいた。(Out)」
母「何していたの?(What did you do?)」
子「何もしていないの。(Nothing)」

”大人から見ると子供は飛んだり跳ねたり
種種様々の遊びをやったにきまっている。
「何もしない」は
客観的にみると大いなる虚誕である。
ところが子供の主観から見ると
百般の活動態はいずれも遊戯でしかないのだ。
何らの努力もなければ、何らの目的も意識せられぬ。
ただ興の動くにまかせそのままに
飛躍跳動したにすぎないのである。
当面の子供から見れば何もしていないのだ。
春の野に鳥が啼いたり
若駒が駆け回るのと何も変わらぬ。
何らの目的をも意識していない。
こうすればこうなるとも考えていない”
(鈴木大拙)


<喜左衛門井戸>
天下随一の茶碗
”坦々として波瀾のないもの、企みのないもの、邪気のないもの
素直なもの、自然なもの、無心なもの、奢らないもの
誇らないもの
それが美しくなくして何であろうか。
謙るもの、質素なもの、飾らないもの
それは当然人間の敬愛を受けていいのである。
それに何にも増して健全である”

<茶道を想う>
”彼ら(茶人)は彼らの熱愛した器物を
貴重なもの、高価なもの、豪奢なもの
精緻なもの、異数なものから抽出してきたのではない。
平易なもの、素直なもの、質素なもの
簡単なもの、無事なものから取り上げて来たのである。
波瀾のない平常の世界に最も讃嘆すべき美を見つめたのである。
平凡の中に非凡を見るより非凡なことがあろうか。
今の多くの人たちは非凡なのもにでなくば
非凡を見ないほど平凡に落ちたのである”
(柳宗悦 「茶道論集」より)

<本来の面目>
”天才という特別な人を待たなくとも
ただ人間本来の面目に帰れば
どんな人といえども
そのままで美しい作品が生めるはずです”
(柳宗悦 「美の法門」より)



<菜根譚>

”人間の心と、宇宙の精神とは本来一つのものである。
喜びの心は星や雲
怒りの心は雷鳴や豪雨
愛の心はそよ風や甘露
きびしい心は炎天や霜に通じる。
人の心の中には
宇宙の諸現象がすべて生じるのだ。
それが生じるときも、消えるときも
少しもわだかまりを残すことがなければ
その人の心は
偉大な宇宙の精神と一致しているといえよう”

”鉢植えの花はやがて正気を失うし
籠の小鳥には自然の風情は見られない。
人里を離れた山のなかで
花も小鳥も入りまじり
思うがままに飛びまわるさまこそ
のびのびとした真実の姿だ”


<行智編「童謡集」>
文政三年(1820年)頃成

”行智がいとけな(幼)き時うたいてあそびたるをおもひ出して
書き附けおく也。
当年四十三才、おもえば昔なりけるよ。
まだ此ごろのやうに思うていたのに
とはいふものの年は取りても
気はいつもわかく
やっぱり子どもと一所に
あそびたい心もち也”

「行智は江戸浅草の人で文化・文政期における
悉曇学(古代インドの梵語学)研究の第一人者と目された人である。
かような学僧がどんな目的から
童謡集を編んだものかあきらかでない。
収められた唄の内容からは
やはり宝暦・明和年間(1751〜1771)
江戸において流行した童謡の収録と思われる」



<初心忘るべからず>

当流に万能一徳の句あり。
初心忘るべからず。
この句、三ヶ条の口伝あり。

一、是非の初心忘るべからず。

若年の初心を忘れずして、身に持ちてあれば
老後にさまざまの徳あり。
前々の非を知るを、後々の是とすといへり。

二、時々の初心忘るべからず。

初心より、年盛りの頃、老後に至るまで
その時分時分の芸曲の
似合ひたる風体をたしなみしは
時々の初心なり。

三、老後の初心忘るべからず。

命には終りあり、能には果てあるべからず。
その時分時分の一体一体を習ひわたりて
また老後の風体に似合ふことを習ふは
老後の初心なり。


初心を忘るれば、初心子孫に伝はるべからず。
初心を忘れずして、初心を重代すべし。

(世阿弥)



<無意識の音楽=わらべうた>

人間にとって音楽とは何か?
ごくあたりまえの日本人が
ごくあたりまえの日常さまざまなことをやっている時に
どのような音楽性を表すだろうか?
そのとっかかりを音楽以前の音楽に求めてみた。
音楽以前の音楽とは
われわれが音楽とは意識しない音楽のことである。
たとえば
わらべうた
(民族音楽学者 小泉 文夫)



<日本の在来の伝承童謡(わらべうた)>

すなわち私たちが子供のときに
いつも手拍子をたたいてはうたった
かの伝承童謡はやはり民衆それ自身のものであった。
だれのなにがしという有名な詩人の手になったのではない。
自然にわきあがってきた民族としての子供の声であった。
その中にはむろん平俗なのもあった。
いかがわしい猥雑なおとなのものもあった。
しかしほんとうの子供の声はその中にあった。
すぐれて光っていた。
これを思わなくてはならない。
(「マザァ・グウス」より 北原 白秋)



<わらべうた=日本音楽の特質美>

わらべうたは誰が作ってどのように伝播して来たかは
誰にもわからないけれども
短い旋律、単純なリズム
言葉に対する曲の呼吸
しかも子供達の身近な生活を中心とした
自然や人間を歌って
郷土の風土や生活感情が色濃く反映していることから
日本の生活の心と行動の最初の自然の歌声であり
日本音楽の特質美形成の素描であることが知られるのである。
日本の各地方に数多くのわらべうたがあるが
その代表として
大阪のわらべうた”なかのなかのぼんぼんさん”を
取り上げて見た。
これは人あて遊び唄で
目隠しした鬼のまわりを輪になって廻り
歌い終わって鬼の背後にいる子供の名を
あてさせるというもので
関東地方の”かごめ”東北地方の”坊さん坊さん”など
各地に同じようなわらべうたがある。
地方によってそれぞれ郷土色を持ち
その風刺や批判を含んだ妙味のあるからかいの言葉と
そのなめらかな旋律やリズムや休止の発想は
子供達の芸術的心情の自然の採用である。
わけてもこのわらべうたの最後の
うしろにだれがいるの歌詞の前後の休止は
旋律の流れを一度破って音の文章の次の句への躍動を潜在させ
また最後の休止は次に来る鬼が答える旋律を
想察させる特有の効果を与えている。
それは日本音楽の特質美
幽玄・侘・寂に通ずる
自然の道となっていることは云うまでもない。

(桝 源次郎)





   








<わらべうたとは>
(本城屋 勝「わらべうた研究ノート」より)



わらべうたには
子供が歌うものと子供のために歌うものと二種類あるという。
前者は歳事歌・天体気象歌・動物植物歌等々で
後者は子守唄である。
また、わらべうたの他に
それとは不可分の童言葉(わらわことば)があるという。
童言葉というのは
もともと大人の唱え言であったものが
子供の所管に移ったものであり
「夕やけこやけ」や「ほたる来い」
もそれであるという。


わらべうたは民謡の一種類
あるいは子供の民謡としてとらえられるのが普通である。


『民謡は前代の歌謡であり
且つその伝統を追った農村の歌謡である。
民謡には民謡の発展があり
数百年間、幾十の進歩もない。
歌謡に至っては他の芸術と協力し合い
永い間に著しい進歩を遂げている』
(小野融吉「日本民謡辞典)


民謡ということばは明治以降のもので
江戸時代は田舎歌・在郷歌・鄙唄等といい
ずっと古くは国風(くにぶり)といった。
それは、農村のものではあるが都市(城下町)のものではなかった。


『それは農村の文化が古く
城下町の文化が新しいからである。
農村の昔からの風俗習慣は
城下町が成立すると共に、多く亡びる。
それは之を維持する必要のないこと
生活気分が違うから拒まれることにある。
農村の経済行為は古く起こって
信仰と密接に関係している。
従って神を祭る民謡が多く歌われるが
町に起こった新しい職業には
そうした事はない。
町の商店員は俗謡や流行歌は歌っても
彼等特有の歌は持たぬ。
また農村では娯楽が自給自足になるが
町では娯楽の供給を職業とする者が居て
新時代の音楽で町の人を喜ばせ
翫賞者たらしめていく
農村では古い歌を歌い
町では新しい歌を聞く
という違いがある』
(小野融吉)


口承文芸は
まず誰かが歌い
それを多勢の人が次から次へとまねるものであるため
伝承するうち、節も言葉も変わっていく。


民謡の多くは元歌あっての替え歌である。
わらべうたにも多くは元歌がある。
しかし、民謡のように
元歌を意図的に替えて歌うのではなく
元歌をまちがえて歌うのである。
民謡は、同じ変わるにしても
それなりに意味が通じるように変わっていく。
しかし、わらべうたは
変わるほどに転訛し、破損し
難解歌と化していくのである。
従って
言葉をそっくり変えられた民謡には元歌の面影はないが
わらべうたの場合は
どんなに崩れていても元歌の面影が残っている。
歌詞に限った場合
わらべうたは民謡よりはるかに
古い姿をとどめているといえよう。
民謡は、誰もが歌うとはいうものの
歌唱も改ざんも歌の上手なものが主導するが
わらべうたにあっては
上手下手が問題にされることはない。
民謡はパロディーであるが
わらべうたはマーマー(わけのわからないひとりごと)である。


『「ずいずいずっころばし」にしても「かごめ」にしても
歌詞の内容は何のことかさっぱりわからない。
調べてゆくと
中には元歌らしいものがわかる場合もあるが
少なくとも歌っている子供はわかっていない。
大人の民謡にも「何やとやら」のような意味不明のものもあるが
多くは何とかこじつけてしまうので
そしてそんな方法で歌が変化したり
替え歌が出来たりするのだが
子供たちはほとんど
聞いたままを伝えていく。
この点はわらべ唄のひじょうに大きな特徴である』
(小泉文夫「日本伝統音楽の研究」)


民謡は本来、聞き手があってこそ存在する。
わらべうたの半分は、それを必要としない。
そこには大人と子供の本質的な違いがある。
民謡には、鑑賞に耐える曲調の美しいものが多いが
わらべうたにはそれがきわめて少ない。
そのほとんどが朗誦調である。
これは世界のわらべうたに共通の要素でもある。


民謡が民謡であることの必須条件は
歌意や曲調にその土地の匂いを有することである。
わらべうたは、方言詩という点では民謡と共通であるが
内容を変えずに
ただ語句だけを方言化したものであり
ここでいう土地の匂いとは異質のものである。


わらべうたには一般的には郷土性は認められない。
それは
子供にはまだ自分のものが見えないからである。
彼らにとって郷土とは
母のふところを大して出ることがないのである。
彼等は見たもの聞いたものを
あるがままに歌うことはできるが
大人のように意図的に変えて歌うことは不得意である。
わらべうたには郷土性の代わりに風土性といったものがある。
南国の沖縄には
月や日や虹などに関する美しい歌がある。
が、雪国には、そり滑りやかた雪渡りなどの
寒さをふっとばすような賑やかな歌がある。
民謡は、都市で洗練されて再び農村に帰ることがあるものの
農村で発生した農村の歌謡である。
が、わらべうたの多くは本来都市で発生した都市の子供歌謡である。


民謡は集団の所産である。
その主流が労働歌であるように
作者の個性は磨滅し
民衆性のみが残る性質のものである。
純粋なわらべうたのほとんどは
最初から、そのような個性を持ち合わせていない。
それは、わらべうたが個人の所産でなく
限られた集団の所産でもなく
一国の民族の所産として誕生したものだからである。


民謡は創作歌謡とちがい
常民の間に自然発生したものである。
誰からともなく歌い出されて広がったものである。
わらべうたも同様である。
しかし、民謡は大人がつくって大人が歌うものであるが
純粋なわらべうたの多くは
そもそも大人がつくって子供に与えたのである。
わらべうたを培ってきたのは勿論子供であるが
「子供の遊びには遠い大昔の
まだ人間が一般に子供らしかった頃に
まじめにしていたことの痕跡がある」
(柳田国男「こども風土記」)
といわれるように、それは
大人が未だ子供じみていた時代の所産である。
古いわらべうたには命令形や問答形が多いが
それは母や祖母が歌う子守唄と共通の要素である。
そもそも子供たちは
先輩よりも子守から
より多くのわらべうたを継承しているのである。
鳥追いをはじめとする歳事歌は、もともと大人が
その効力を信じて真面目に歌っていたものであった。
信じられなくなった頃から
子供のものになりだしたのである。
僧侶によって与えられたものも沢山ある。
子供の間から自然に発生したわらべうたには
そんなにはない。


民謡は、民衆の野調とか土の自然詩とかいわれるように
素朴性こそ、その本質であり魅力である。
民謡が時代を超えてながく歌われる所以がそこにある。
わらべうたには
原始性とでもいうべきものがある。
それは
わらべうたがもともと大人の所産であったからである。
そこには民族の根源性すら感じられる。


”三度掻いて 蜻蛉とまるや 夏座敷”
”片息に なって逃げ入る 蛍かな”
”夕顔の 花で洟かむ おばばかな”
”暑いとて 面で手習ひ したるかな”
”大蛍 ゆらりゆらりと 通りけり”
(小林一茶)


子供が、その時代に別れを告げるのは
古くは元服や成女式であった。
元服はもともと武士階級のもので
民間ではフンドシ祝いなどと呼ばれていて
多くは十三歳から十五歳の間に行われたが
もっと早いときもあった。
一方、ユモジ祝、カネツケ祝いなどと呼ばれる成女式は
十三カネ、十三祝いなどのことばが残っていることから知られるように
十三歳前後が多かった。
しかし、初潮とも関係あり
十二歳のときも十五歳のときもあった。


多くの先学は、純粋なわらべうたの対象となる年齢の上限は
七八歳と考えている。


子守唄は本来子供が歌うものではないが
これまでいわれてきたような
遊ばせたり、眠らせたりするためだけにあるのではない。
マザー・グース同様、未だ学校なき時代の
あるいは就学前の子供のための
教科書的役割を果たしているのである。
従って、「花折に」などの口遊歌との重複が目立ち
これもマザー・グースと同じように、朗誦調が多い。
眠らせ歌は別としても
他の種類の子守唄の対象年齢は
四五歳まで、あるいは十歳ごろまでとも思われる。


わらべうたを歌うわらべとは
ほとんどの子供が学校に通うようになった明治末期においては
若干事情も変わるが
明治中後期以前にあっては
やはり先学のいう七八歳が最も妥当な線であると考える。


わらべうたを培ってきたのは
昔の子供たちであり
古いわらべうたの口承が事実上途絶えていると見てよい現在
ここで、現在の子供と比較することのできないのは自明の理である。
十四五歳も歌う歳事歌と手まり歌の場合
そのほとんどは
一応わらべうたの枠内にとどめておいても
純粋なわらべうたというわけにはいかない。


わらべうたの多くと子供の遊びとは不可分の関係にある。
というより、最初に遊びがあり
歌は普通それに従属する形で発生する。


遊びにおける命令形とは何か。
『かたつむりで遊ぶ子供たちの心の原点が浮彫りにされている。
無力な虫をいつくしみ、同時にいじめる心。
いつくしむのは
それが子供である自分と同じかよわい存在だからである。
自己同一視がはたらいている。
同時にいじめるのは
勇躍の心、優越の気持ちを抑えがたいからである。
「命令」というのは
それほど楽しいことなのである。
他者を支配するというのは他者をもて遊ぶことであり
そこに遊びの根源の一つがある』
『子供は勇躍する心である。
社会はそれを抑えつけ、馴致しようとする。
子供は社会の抑圧、教育を内化し、肉体化し
同時に、自分の勇躍する心を小動物という存在に外化する。
子供が動物をいじめるとき
彼は「社会」の目で「自分」をいじめているのである。
内化したものによって外化したものを
いじめ・傷つけ・命令し・支配する。
「社会」が完全に彼を馴致したとき
彼は動物で遊ぶことをやめるだろう』
(多田道太郎「遊びと日本人」)
意味だけでは子供の残忍性のみが認められるような歌であるが
以上のような考察があってこそ
その本質を知ることができるというものである。


新童謡の勃興を柳田国男が
「新たに童謡を幼き作者の中に求めようとしたのは
彼等にとって迷惑至極な話であった」といい
これによってわらべうたが損なわれることを
懸念したことぐらいである。


「はじめはだれが歌ったとなく歌いだされて
つぎつぎに歌い伝えられて、歌いなおされて
ほんとうに洗練されたいいものばかりが永く残る」
(北原白秋)


「元来童唄は、遊戯や年中行事のなかに生まれ
歴史的な伝承の過程を経て存在するものであり
その歌詞や旋律は、地域の民俗を背景とし
方言と直結してうたわれるものであるうえ
地域間に伝播し広がっていく一方
再び各地域の民俗により改変されていくという
いわば民俗・歌詞・旋律の一体化した存在である」
(尾原照夫「口承文芸」)


「わらべうたは、他から不自然にあたえられる歌ではなくて
わらべたちのあいだに
自然とうたいだされる歌であらねばならない」
(藤沢衛彦「図説日本民俗学全集」)


子供らが自らが歌いだした童謡とは
伝承童謡(江戸時代以前発生のものに限る)のことであり
これには自然童謡、遊戯童謡、流行童謡、物語童謡、行事童謡
の五種類があるという。


わらべうたの伝承は
すべての種類にわたって
半分以上は大人によってなされるからである。


子供の間に自然発生し
子供によって口承されるなら
その命がたとえ短くても
やはりわらべうたであるはずである。


わらべうたは
口承という性格上
生きものである。
時代とともに変わるのである。
時代には時代の背景があり
それがわらべうたに作用する。


「今は何でも西洋かぶれがして
謡でも遊びでも玩具でも
昔の日本の子供から伝わってきた日本の子供のものが
おほかたわすれられてしまひそうになりました」
(北原白秋「日本童謡物語)


手まり歌・お手玉歌の発生は
歌意上等から江戸後期に集中するといわれている。
しかし、それ以前にこの種の歌が存在しなかったわけではない。
より古いある時期には
仏教童謡と呼ばれる一群の子供用の創作歌が発生した形跡がある。


「ほんとうを言うと、民謡とか童謡とかいうものは
たとえそれがある種の詩人の作だったにせよ
その歌謡が一般民衆のものとなった以上
その作者の名前は忘れられて
その歌謡だけがすべての民衆のものとなる。
そうして残れば残るだけ
その歌謡は民謡として成功したものだといいうる。
すなわち作者の名が忘れられれば忘れられるだけ
ほんとうの民謡として光あるものであるのだ」
(北原白秋)


私は子守唄もわらべうたとすべきであると考える。
伝承面から見ても
純粋なわらべうたの伝承は
これまでいわれてきたように
「子供から子供へ」
とばかりは限らない。
むしろ
「大人から子供へ」
の方がより多いとさえいうことができる。


わらべうたとは
作者の有無を問わず
子供から子供へ
あるいは大人から子供へと口承される子供の歌
子供のための歌をいう。


児童はただ今まである面白い言葉を
声高くくり返して居るといふだけであって
誰も歌のつもりで歌っては居らぬ場合が多いからである。


大人のために歌われる大方の民謡とちがい
子守唄のほとんどは
聞き手である子供のために歌われるものである。
しかも子供が、生まれて初めて接する自分のための歌であり
しかも、そこに表現されている日本古来の思想は
家庭教育をねらいとするものである。


「私が日本へ来た頃には
まだまだ日本の児童たちは
おじいさんやおばあさんから教えられた昔の歌ーーー
一般に、家庭の教えは祖父母にまかされているから
ーーーをうたっていたものである。」
(ハーン)


「『夕やけ小やけ』や『蛍来い』などの
何でも無いような遊戯語の類とても
最初はただ彼等の一人の空想に生まれたのであったら
斯様に永く伝わり又広く分布することが出来なかったろう。
察するに童話が童子の為の昔話であったと同様に
童謡も亦彼等共通の感情を代表した
所謂先覚たちの言語芸術
即ち子供用としての唱えごとであったのである」
(柳田国男)


つまり両者とも
わらべうたは先ず大人が歌い
子供がそれをまねるものである
といっているのである。
わらべうたを論ずるとき
このことは決して忘れられてはいけない。
これを忘れて単純に
わらべうたは子供から子供へ口承されるものである
とか
子守唄は大人が歌うものであるからわらべうたではない
とする論は成り立たない。
ハーンや柳田からの引用で知られるように
わらべうたは
その全体が一種の子守唄なのである。


子守唄の伝承は
子供もその役割を担っている。
民謡の伝承が大人から大人へであるのに反し
子守唄のそれは、昔話と同じように
常に大人から子供へである。
子守唄を
大人は他の大人から学んだのではない。
自からが子供のときに
同じ歌を何度となく繰り返されて
あるいは母が弟や姉に対して歌っているのを傍で聞いて
覚えたのである。


子守唄は本来子供の歌うものではないことは当然であるが
実際には、農村ほど、また時代をさかのぼるほど
年端も行かない姉たちによって
歌われるものであることも考慮する必要がある。









お正月がござった
(東京都の正月の唄)



お正月がござった 何処までござった
 
神田までござった 何に乗ってござった

 交譲木に乗って

ゆずりゆずりござった



お正月になると年神様が
何処からともなくやって来る。
「おめでとさん、みんな元気でやっとるか?」
「はい、おかげ様でみんな元気でやっております。」
「よしよし、それは良かった」
「どうぞどうぞ、中へ入って飲んでいって下さい。」
「おお、そうか」
じいちゃん、ばぁちゃんから赤ちゃんまで
家中の人達が出てきて、年神様を迎え入れる。
「旧年中は本当にいろいろお世話になりました
今年もどうぞよろしくお願い致します。」
それぞれの家に、それぞれの年神様が来て
それぞれのいろんな出来事をはなし
朝まで飲んだり食べたり歌ったりしていると
いつの間にか年神様の姿が
見えなくなってしまいました。

お正月の空は青く澄んでいて
なにもかもが
美しく
見える。


わらべうたと昔ばなし
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