<今、なぜ伝承音楽?>

=かけがいのない人類の宝を未来へ伝承する=



いつ頃の時代に生まれ、誰が作ったのかもわからない唄が、
何百年もの間歌い継がれてきました。
「わらべうた」その素朴な旋律の中には
その土地にしかないことばや
人々や山や川がうたわれ
鎮守の森でかくれんぼをしていた時の
不思議な体験や
道端にいるお地蔵さんや
狐にだまされたり
雪と遊んだり
お月さんと話をしたり
子守りのつらさだったり
お手玉・手毬唄
すべてにメロディーをつけてうたっていました。
それはこどもだけでなく
大人も一緒になってうたっていました。
というより
こどもたちの中での伝承
大人たちからの伝承
じぃちゃん、ばぁちゃんたちからの伝承が
行なわれてきていたのです。
そのうたの中には
すべてのものに対して
畏敬の心がありました。

その「わらべうた」が
今はもうほとんどうたわれていません。
この貴重な旋律と心を持った伝承音楽を
独特な編曲をして、今に蘇らせ
いつまでも伝えていきたい。




おっくんさん
(愛知県の狐遊び唄)

早起きゃ 寄っといで
おっくんさんを呼ばろ
中のおっくんさん お遊びおいでんか
「今 寝とるでのう」
「朝寝坊だナ」
中のおっくんさん お遊びおいでんか
「今 お茶の子だでのう」
「おーそい おそい」
中のおっくんさん お遊びおいでんか
可愛いの坊だでお頼みに
ハーイ ハイ
あの家の門の門松を
三ベン廻って笑え




堅雪かんこ
(青森の雪の唄)

堅雪かーんこ 白雪かっこ
しんこの寺さ 小豆バッとはねた
はーねた小豆ッコ すみとって
豆ッコ ころころ
豆ッコ ころころ




お月さんいくつ
(東京都の月の唄)

お月さんいくつ 十三 七つ まだ年ァ若いね
あの子を生んで この子を生んで
誰に抱かしょ お万に抱かしょ
お万は何処行った
油買いに茶買いに
油屋の前ですべってころんで
油一升こぼした
その油どうした
太郎どんの犬と 次郎どんの犬と
みんな舐めてしまった
その犬どうした
太鼓に張って 鼓に張って
あっち向いちゃドンドコドン
こっち向いちゃドンドコドン
たたきつぶして しーまった




守さ子守さ
(愛知県の守り子唄)

守さ 子守さ
昼ねが大事ョ ホーヨーオ
晩げ遅うまで 門に立つ
ハリコヤ スイタカ ジュンサイ

なんぜこの子は
なぜこに泣くかョ ホーヨーオ
乳が足らぬか 親なしか
ハリコヤ スイタカ ジュンサイ

向う山をば
ちんばが通るョ ホーヨーオ
傘が見えたり 隠れたり
ハリコヤ スイタカ ジュンサイ




石地蔵
(柳田國男)

村の子供たちと親しみの深かったのは
何といっても石地蔵が一番であった。
地蔵さんは顔形も子供と近く
いつも目を伏せて静かに彼等のすることを視ているようなので
みんなその下へ来て常に遊んだ。
秋の始めの二十四日などは
地蔵盆といって子供のための祭であった。
児を愛する人たちもこれをよく記憶していて
喜びにつけ悲しみにつけ
始終地蔵さんの前に来て
いろいろの願いごとをしては拝んでいた。
それで地蔵は子供の保護者であるように
わが国だけは信じられるようになったのである。










2006年1月吉日

小泉文夫記念資料室
<東京藝術大学音楽学部>




「つまり、子供たちは古い歌をそのまま歌い継ぐのではなく
音階やリズムのうえで伝統的な音楽感覚を引き継ぎながら
メロディーや歌詞に子どもなりの創造性を加えて
わらべうたを歌っていた。
『伝統はただ守るだけでは意味がない
現代の中で創造的に生かさなくてはならない』
という彼の主張の生きた姿が
音楽としては幼い形ではあるが
わらべうたにはっきりと現われていた。
しかもわらべうたは
言葉が歌となっていく基本的段階であるがゆえに
日本語のイントネーションやリズムを
自然な形で音楽に反映していた。」


「さて、芸大着任後最初に着手したのは
日本のわらべうたの研究だった。
これは、常に彼が問題としていた
『日本人の民族性とは何か』
という問いにつき動かされたものであった。
この研究から
音階やリズムといった日本音楽の構造上の特質だけではなく
遊びと音楽、言葉と音楽との関係
数の数え方やとなえ言といった
音楽以前の音楽性から民俗音楽
そして芸術音楽への発展の形
人にとって遊びとは何か
音楽性の豊かな国民とはどのように形成されなくてはならないか
などというさまざまな問題を小泉は展開させていく。
とくに子どもにとっては
『生活』そのものである『遊び』の中で歌っているわらべうたと
学校で教わる音楽とのかけ離れた姿から
小泉は音楽教育の問題に後半生を通じて深く鋭く関わっていくことになる。」

(「世界を聴いた男」小泉文夫と民族音楽 岡田真紀より)





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